障害者の家族形成と 医療の関係を ありのままにとらえ、考える。

はじめに

国連の障害者の権利条約では、障害者が他者と平等に法的能力を享受し、結婚して家族をみつけ、子を産む権利を持つとされています。近年の日本でも、障害者の権利を保障する法律が改正されたり、新たに制定されたりしています。

しかしその一方で、依然として障害者の社会参加は妨げられがちです。それに、結婚して子どもをもうけるという当たり前のことが、障害者には思うように進められない状況も続いています。たとえば、内閣府の『平成25年版障害者白書』によると、配偶者を持つ身体障害者の割合は60.2%、精神障害者では34.6%しか配偶者を持っていません。さらに、知的障害者に至っては、大半が親や兄弟姉妹と暮らしており、配偶者を持つ者は2.3%と非常に少ないことがわかっています。2015年の日本人全体の生涯未婚率は、男性23.4%、女性14.1%であったことから考えると、障害者の婚姻がいかに困難であるかがわかるでしょう。ましてや、自分の子どもを自分の力で育てている障害者の数は、さらに少ないことが見込まれます。

医学的なものの見方に着目すること

このサイトでは、障害者の家族形成を妨げる要因について、特に医学的なものの見方(つまり「医学的観点」)と障害者の家族形成に注目しています。近代西洋医学は、障害を心身の異常や欠損に見出し、個人の克服すべき課題ととらえます。つまり、医学的観点は、障害を個人の問題に閉じ込め、障害者が暮らしやすい社会を作ることを後回しにしてしまいます。

このような「医学的なものの見方が障害を個人化してしまう」という考え方は、1970年代にイギリスで生まれましたが、これによって社会の責任が問われるようになりました。社会は責任を持って、障害者に不利益を生じないように対策を練る必要があると考えられるようになったのです。最近の障害者の権利擁護を支える法改正などは、この流れのなかにあると考えられます。

しかし、障害が社会の問題であるとされても、障害者にとっての医療の存在は大きいままです。そしてまた、医療も目の前の障害を持った人たちの支援を出来る範囲でしているだけだと言えるでしょう。そこには本来、障害者を社会的に排除しようという意図はなかったはずです。医学的なものの見方によって、意図せずに引きおこされた障害者への抑圧と、医療現場で行われている障害者への支援の間には、解決が難しい矛盾があると言えるでしょう。

このような矛盾に立ち会うとき、そもそも「障害に関する医学的観点というものはどのようなものなのか」という素朴な疑問が浮かびあがります。理論的かつ既成概念的な「医学的観点」が一人歩きし、様々な現場で様々な経験をしている医療者の生の声が聞こえて来ないのはなぜでしょうか。そして、障害者は、結婚から妊娠、出産、育児という家族形成過程のなかで、どのような経験をし、現代の医療や社会へどのような意見を持っているのでしょうか。

このサイトは、以上のような背景と疑問が出発になっています。障害と家族形成について考える機会を一人でも多くの人が持って下さることを願っています。